Bluh Velvet

毎年7月、イタリアで最も多くのミシュランの星を持つシェフ、エンリコ・バルトリーニが、ヴィンチェンツォ・ルッソと並んで厨房に立つ。ルッソは、開業から数か月でBluh Furoreに星をもたらしたカンパーニア出身の若きシェフだ。舞台は、ポジターノとアマルフィの間の断崖に建つわずか35室のホテル、フローレ・グランド・ホテル。
フローレ・グランド・ホテルは、アマルフィ海岸の断崖に寄り添うようにある。崖の中腹からテラスが段々と海へ下り、RIA Lounge Barのテラスに立つと、海との間にあるのはプールだけだ。
眼下にはティレニア海が見渡すかぎり広がり、岩に触れるあたりはターコイズ、沖へいくほど深いインクブルーへと変わり、やがて空との境目がわからなくなる。
その周りの山肌は低木や松の緑に覆われ、古い石積みの段や小さな畑がところどころにのぞき、その間を海岸道路が縫うように走る。そして足元のどこか、ここからは見えない場所に、フローレのフィヨルドがある。
山の渓流が海に注ぐ細い峡谷で、水面から30メートルの高さに道路橋が架かる。この海岸で最も写真に撮られる場所のひとつだ。

7月の土曜日、午後7時半。あたりはまだすっかり明るい。昼の暑さは引き、海から風が吹き上げ、傾き始めた太陽が触れるものすべてをやわらかくする。
ゲストたちは、麻のスーツやシルクのドレスをまとって現れる。ホテルの宿泊客、この夜のために海岸沿いを車でやってきた人々、そしてシェフや業界の人たち。それぞれにフランチャコルタのグラスが手渡され、あとは思い思いに歩き回る。注がれていたのは、カ・デル・ボスコの「キュヴェ・プレステージ」。
フランチャコルタは、シャンパーニュと同じ瓶内二次発酵でつくられるイタリアのスパークリングワインで、北イタリア・ロンバルディア州のイゼオ湖を望む丘陵地で生まれる。カ・デル・ボスコは、その名を世界に広めた代表的な造り手だ。
このキュヴェは2017年からボトルごとにエディション番号が入っていて、この夜のボトルは「48」だった。雰囲気は上品でゆったりとしていて、ゲストが増えるにつれて少しずつ華やいでいく。

これが、毎年この時期に開催しているディナーショー「Bluh Velvet」だ。この一夜だけバルトリーニは、普段ルッソが率いる厨房に並んで立つ。
着席のディナーではなく、テラスにライブクッキングのステーションが並び、それぞれシェフたちが一品ずつ仕上げていく。ゲストはグラスを片手にステーションからステーションへと歩き、目の前で料理が仕上げられるのを見ることができる。
「歩いて巡るテイスティングメニュー」とでも言えばいいだろうか。DJの音楽とライブ演奏が会場を盛り上げ、夜が更けるにつれて熱気はさらに増していく。

イタリアの一家が手がける新しいホテル
フローレ・グランド・ホテルは、4年がかりのプロジェクトを経て2023年夏にこの断崖にオープンした。
まるで、海を見下ろす広々とした邸宅のようだ。壁も床もリネンも凛とした白が印象的で、共用スペースはすっきりと開けている。入り口のアーチや壁はやわらかなカーブを描き、地中海風の現代的なスタイルだ。オーナーのピエトロ・イロッロ・デ・ルティースは、ホテルのどこにいても海が見えるようにしたと語っている。
ピエトロ、ジュリアーノ、アレッサンドロのイロッロ・デ・ルティース兄弟は、この業界で育った。父親がソレント海岸のヴィラ・ロミータを買い取り、1974年からそれを「ラ・メドゥーサ」として運営している。一家は25年にわたって旅行業にも携わり、旅行会社ジャルピ・トラベルはニューヨーク、リオデジャネイロ、サンパウロ、東京に拠点を持っていた。
フローレ・グランド・ホテルは、9段に重なるテラスと、2万㎡を超える敷地に広がっているが、建物と内装は、地元の石工(いしく)、大工、陶芸家、鍛冶職人が手仕事で形にしたものだ。レストランに食材を届けるのは地元の農家とホテル自前の菜園で、スタッフの多くも地元の人たちである。
厨房は最初から計画の中心にあった。兄弟はホテルの料理全体の監修をエンリコ・バルトリーニに依頼し、カンパーニア出身の若いシェフ、ヴィンチェンツォ・ルッソに厨房を任せた。開業から数か月で、ファインダイニングの「Bluh Furore」はミシュランの星を獲得する。これほどの速さは老舗ならともかく、最初のシーズンを迎えたばかりのホテルとしては異例だ。

故郷に戻ってきたシェフ
ヴィンチェンツォ・ルッソは1995年、モンティ・ラッターリ山地のふもと、サンタントーニオ・アバーテに生まれた。この半島の背骨のように連なる山々だ。ホテル学校を卒業後、オルタ湖畔のヴィラ・クレスピで、イタリアで最もよく知られたシェフの一人、アントニーノ・カンナヴァッチウオロのもと7年間働いた。サルデーニャでの経験を経て2022年に南へ戻り、イロッロ・デ・ルティース家からフローレのすべての厨房を任された。
その帰郷が、彼の料理を形づくっている。ルッソは地元の小さな生産者と組み、カンパーニアの記憶を軸にメニューを組み立てる。代表作「Veli di Mare」は、カンパーニアの伝統料理パスタ・マリタータを、魚介、スモークモッツァレラ、エスカロール、近くのチェターラ産コラトゥーラで再構成したものだ。
彼が担うのはディナーだけではない。ホテルにある3つのレストランすべてを、彼のチームが手がけている。朝食をとる眺めのいいテラス「Velaris」、ランチとディナーを出す終日営業のレストラン「Acquarasa」、そしてミシュラン一つ星のファインダイニング「Bluh Furore」だ。ルッソは2025年10月には、Food & Wine Italiaの「Best Chef Under 35」に選ばれている。
Bluh Velvetの夜、ルッソはあらゆる場所にいた。あるステーションでは、淀みない美しい包丁さばきで魚を切っていた。そこからステーションを一つずつ回り、チームが出す皿すべてに目を配る。リゾットの時間が近づくと厨房に戻ってリゾットを仕上げ、その間にライブクッキングのステーションは片付けられ、デザート用に模様替えされていった。一晩中忙しそうなのに、決して慌ただしくは見えない。すべてに目が行き届いていた。

師匠
エンリコ・バルトリーニは、イタリアでは説明不要の存在だ。1979年トスカーナ生まれで、イタリアのシェフで最も多くのミシュランの星(9つの店で合計14個)を持ち、その店はミラノ(ムデック美術館内の本店は三つ星)をはじめイタリア各地に広がり、海外にも店を持つ。自らの料理と同じくらいチームを育てることで知られ、多くの店では彼とともに働くシェフたちがその星を勝ち取っている。
Bluh Furoreでは彼のシグネチャー料理もいくつか出しているが、日々の料理はルッソのもので、ホテルはそれを二人の「絶え間ない対話」と表現している。Bluh Velvetは、その対話が年に一度、同じ厨房で公開される夜なのだ。

Bluh Velvet
Bluh Velvetは、今年で第2回。料理を中心にしたパーティーで、宿泊客も外部のゲストも参加できる。
メニューは、カンパーニア(ナポリやアマルフィ海岸を含む南イタリアの州)の記憶をたどりながら、ルッソが海外で出会った要素を取り入れたものだった。
夜はRIA Lounge Barでのアペリティーボから始まり、グラスを手にしたゲストのもとへ、ひと口サイズの前菜が運ばれてくる。
キャビアと金箔をのせたクラクレ、カタルーニャ風のオマール海老のタコス、そして「グラーノ・アルソ(焦がし小麦)」の生地を揚げたニョッコに、燻製したナスとトマトのコンフィを合わせた一品。
グラーノ・アルソは、かつて南イタリアの農民が、刈り取りのあとに焼かれた畑から麦を拾い集め、挽いて使ったことに由来する、香ばしい粉だ。
ライブクッキングのステーションには、牡蠣、ニンジンとマリーゴールド(ターゲテ)を添えた鯛、ビーツと柚子を合わせたスズキが並んだ。
「Festival di Pomodoro(トマトのフェスティバル)」は、旬のトマトに、しゃぶしゃぶの要領でさっと火を通したヤリイカを合わせる。タコの串焼きは、日本の焼き鳥用のグリルでゲストの目の前で焼かれ、パプリカ、トマト、生姜、レモン、ゴマ、そしてコラトゥーラで作る「海のバーベキューソース」で仕上げられる。
コラトゥーラは、すぐ近くの漁師町チェターラで古くから作られてきたカタクチイワシの魚醤で、深い旨みがある。柚子に、しゃぶしゃぶ、焼き鳥のグリルといった日本の要素が、カンパーニアの皿にさりげなく溶け込んでいる。



ナポリのストリートフードの定番である揚げピッツァと、四つ折りにして手に持って食べる「ポルタフォーリオ(財布)」も登場した。
二人のシェフがこの夜のために考えた「Risotto con Furore」は、黄色いズッキーニとターメリックで海岸の温かな色合いを表し、キャビアとバジルのペーストで味を引き締めた一皿。
その場で焼き上げるコウイカには、酢とミントでマリネしたズッキーニの「スカペーチェ」に、アーモンドのソースとイカスミのソースが添えられた。

デザート用に模様替えされたステーションでは、食後のエスプレッソにリキュールを垂らすイタリアの習慣をデザートにした「カフェ・コレット」、ルバーブとバニラとトンカ豆、エキゾチックなラビオリ、そしてナスとチョコレートのタルトが仕上げられていく。
ナスとチョコレートという組み合わせは意外に思えるが、アマルフィ海岸では夏の伝統菓子として親しまれてきたものだ。
18世紀ごろ、すぐ近くのコンカ・デイ・マリーニにあったサンタ・ローザ修道院の修道女たちが考え出したと伝えられる、貝の形のパイ菓子「スフォリアテッラ・サンタ・ローザ」も並んだ。

最後の小菓子には、リモンチェッロのクリームを詰めたボンボローネ、アマルフィのレモンクリームでスポンジを包んだ「デリツィア」、アーモンドとレモンのパン菓子、ミルフィーユ。そして大きなババ・サヴァランが、ゲストの目の前で切り分けられた。
ワインはソムリエのセレクションで、カ・デル・ボスコの泡に続いて、カンパーニアの白と赤が用意されていた。白は、内陸のイルピニア地方の造り手コントラーダ・ミケーレによるファランギーナ。カンパーニアを代表する白ブドウで、海の幸によく合う爽やかな一本だ。
赤は、ヴィラ・マティルデの「ストレガモーラ」。カンパーニアの土着品種ピエディロッソからつくられる。ピエディロッソは「赤い足」という意味で、房の軸が赤く、鳩の足に似ていることからその名がついた。

翌朝
客室は、優雅で落ち着いた地中海の邸宅スタイル。白を基調にしながら、温かみのある素材とやさしい色合いで、ベッドからもテラスからも一面の海が見える。
朝食は、海を見下ろすテラスのVelarisで。ここには朝の小さな儀式がある。ナポリのコーヒーポット「クックメッラ」で淹れたコーヒーに、敷地内で採れたレモンの皮を香らせるのだ。
クックメッラは、ナポリで昔から使われてきた、ひっくり返して淹れるポット。下半分で湯を沸かしたら上下を返し、湯がゆっくりと粉を通って落ちていく。
ナポリの人々にとっては、エドゥアルド・デ・フィリッポの戯曲『Questi fantasmi!(この幽霊たち!)』でおなじみの道具でもある。主人公がバルコニーで、クックメッラでのコーヒーの淹れ方を、もったいぶって語って聞かせる場面だ。
卵料理は注文を受けてから作られ、自家製のペストリーやアラカルトのメニューもそろう。でもここでぜひ味わってもらいたいのはババだ。
ここではラム酒をたっぷり含んだ大きなケーキとして登場し、注文に合わせて切り分けてくれる。ババはナポリを代表する菓子のひとつだが、生まれはフランスだ。
言い伝えでは、今のフランス東部にあたるロレーヌ地方で、亡命中のポーランド王スタニスワフ・レシチニスキのために考案され、パリの菓子職人が洗練させ、貴族の館で働いていたフランス仕込みの料理人たち、地元で「モンスー」と呼ばれた人々がナポリに持ち込んだという。
そしてナポリはそれを手放さなかった。今でも誰かを「ヌ・ババ(まるでババだ)」と呼ぶのはほめ言葉で、「素敵な人」という意味になる。


プールとスパ
フローレ・グランド・ホテルのプールは2つ。どちらも水面の縁が眼下の海とひと続きになったインフィニティプールで、海岸全体を見渡せる。そのそばには、ヨガデッキや海に面したジムも備わっている。
屋内でゆっくり過ごしたいなら、温水プール、サウナ、ハマムをそろえたペトラマーレ・スパへ。テーマは、この海岸で長寿の象徴とされるオリーブ。トリートメントにもオリーブが使われ、陽を浴びたオリーブ畑やハーブ、潮風をイメージした、このスパのためだけにつくられた香りも用意されている。
ヘッドスパでは、頭皮と体の角質ケアに、天然のマスクとゆったりとした感覚的なマッサージを組み合わせる。スパの中の小さなアトリエ「ハーバリウム」では、スタッフの手ほどきを受けながら地中海のハーブを選んでブレンドし、自分だけの香りやコスメにして持ち帰ることもできる。


存在しない村
ポジターノとアマルフィのあいだにありながら、フローレはこの二つの町とはまるで雰囲気が違う。地元の人たちはここを「イル・パエーゼ・ケ・ノン・チェ(存在しない村)」と呼ぶ。
海辺に広場があるわけでもなく、家々は海岸道路からアジェーロラ高原へと続く山肌に、ぽつりぽつりと散らばっているからだ。昔は「テッラ・フローリス(怒りの地)」と呼ばれていて、その名は嵐の夜にフィヨルドの中で荒れ狂う海から来ていると言われている。
この村の歴史は、アマルフィと深く結びついている。アマルフィは839年から海洋共和国として栄えた、イタリアでも最も早い時期の海洋国家のひとつで、東地中海との交易で富を築き、最古級の海事法典まで生み出した。
言い伝えによると、フローレに住み着いたのは、政治的な理由でアマルフィを追われた人たちだったそうだ。彼らはここで紙や絹、パスタ、ロープをつくりながら急な斜面に段々畑を切り開き、その畑では今もオリーブやブドウ、レモンが育っている。
映画とも縁がある。1948年、ロベルト・ロッセリーニは映画『L'amore(アモーレ)』の一部をこのフィヨルドで撮影していて、出演していたのは当時ロッセリーニの恋人だったアンナ・マニャーニと、まだ若かったフェデリコ・フェリーニだった。浜辺の小さな漁師小屋は、今もそこに残っている。
フィヨルドは海から見る
フローレのフィヨルドと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、岩の細い裂け目の上、水面から30メートルほどの高さに道路橋が架かり、その下に25メートルほどの小さな小石の浜がのぞく、あの風景だろう。この海岸でも、とくによく写真に撮られる場所のひとつだ。
そのぶん、真夏はとてもにぎわう。浜まで歩いて下りるには、海岸道路から長く急な石段を下りなければならず、帰りはまた同じ道を上ることになる。
近くに駐車場はないし、午後の早い時間には浜から日が陰ってしまう。それでも歩いて下りてみると、小石の浜からふと気づくはずだ。ボートが次々とフィヨルドに入ってきては、しばらく留まり、また海へ出ていくことに。
実はこの場所は、海から見るのがいちばんいい。隣のプライアーノにあるマリーナ・ディ・プライアという小さな港には、この海岸の木造船「ゴッツォ」が並んでいて、地元の船長が操る船を貸し切るのが一般的だ。
半日あれば、海側からフィヨルドに入り、崖に囲まれてひんやりとした入り江で泳いで、そのまま海岸沿いにコンカ・デイ・マリーニやエメラルドの洞窟、ポジターノまで足を延ばせる。ランチは船の上でとってもいいし、どこかの港で陸に上がってもいい。

心に残るもの
海を見下ろすプール、星付きの料理、スパ、そしてフィヨルドへの船旅。アマルフィ海岸の夏に求めるものは、ここにひととおりそろっている。けれど、この旅を特別なものにしたのは、迎えてくれる人たちだった。
レストランで、プールサイドで、朝食のテラスで、ホテルの人たちと交わした何気ない会話。こちらが何か言う前に気づいてくれるのに、決して押しつけがましくない。プロとしての隙のなさと、相手に気負わせない温かいおもてなし。
イタリア語の「オスピテ(ospite)」は、もてなす側と、もてなされる側の両方を指す言葉だ。この国では古くから、もてなしは一方的なサービスではなく、人と人との関係だと考えられてきた。どんなに美しい景色も、どんなにおいしい料理も、それを差し出す人の心づかいがあって、美しく記憶に残っているのだろう。
Furore Grand Hotel





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