La Rotonda : ここにしかないもの

イタリア・マルケ州ポルト・レカナーティの「La Rotonda(ラ・ロトンダ)」。海辺の食堂として歩んできた60年の歴史の中で、その料理は進化を続けてきた。しかし、漁師も、農家も、長年通い続ける常連客も、決して置き去りにすることはなかった。
ラ・ロトンダに保管されている古い書類の中に、請求書というよりも、近所同士で交わしたメモのような注文伝票がある。
「ベッペ、フダンソウを持ってきてくれ。こっちはコウイカを用意する。1,000リラ」
農家が畑で採れた野菜を持ち込み、厨房はその朝、海から届いた魚介を加える。そうして昼食ができあがる。
それから60年。
フダンソウは今、海岸から内陸へ2キロほど入った場所に広がる12ヘクタールの畑から届く。そしてコウイカは、シェフが自分自身を象徴する料理と呼ぶ一皿になった。
それでも、根底にある考え方は変わっていない。
「ここで食事をするなら、自分が今どこにいるのかを理解してほしい」
そう語るのは、シェフのジェルマン・スカルマッツィ(German Scalmazzi)。シンプルな言葉だが、ラ・ロトンダでは、この一言がメニューのすべてを物語っている。

マチェラータ・マーレ
すべては、砂浜に建てられた一軒の小屋から始まった。
当時は毎日、誰かが大きな氷の塊を取りに行き、その周りに水のボトルを並べて冷やしていた。
アントニオは海水浴場の監視員として働きながら、時間があれば漁にも出ていた。妻のアントニアが厨房を切り盛りし、夫がその日に獲った魚が、夕方には客の皿に並んだ。
この海岸一帯は、かつて「マチェラータ・マーレ(Macerata Mare)」と呼ばれていた。
海岸沿いの道路は、マチェラータや内陸の村々を海へと直接結んでいた。当時は車体に「Macerata Mare」と書かれたバスまで走っていたという。
内陸からやって来た人々は、朝から晩まで海辺で一日を過ごした。
店の建物も、そうした人々とともに成長していった。
1960年代から1990年代末までの古い写真を眺めると、建物が少しずつ姿を変えていく様子がわかる。
最初の小屋は、現在も小さな屋外厨房として残されている。その後、海水浴客のための更衣小屋が設けられ、やがて倉庫として使われるようになった。
そして最後に、店の名前の由来となる円形のダイニングルームが誕生した。

世代をつなぐ、新たな経営
ジェルマンと妻のサラがこの店にやって来たのは2004年のこと。2007年には、サラの家族から経営を引き継いだ。
当時のラ・ロトンダは、現在とはまったく異なる店だった。茶色を基調とした内装に、慌ただしい店内。営業は一年のうちわずか4か月だけだった。一日に200〜220人の客を、3回転で迎えていたという。
メニューは、マリナーラ、魚介の串焼き、魚のフリットといった、昔ながらの海辺のレストランらしい料理が中心だった。ジェルマンは2004年以前、海外で経験を積んでいた。パリではアラン・デュカスのもとでも働いた。その経験から得たものは、今も彼の中に残っている。特に大きかったのは、仕事の進め方だった。
「最も印象に残っているのは、組織のあり方です。一度身につけたものは、その後もずっと自分の中に残ります」

二人が最初に下した大きな決断は、店を通年営業にすることだった。
その後、二人は仕事としてではなく、一人の客として各地を旅するようになった。ほかの場所では何が起きているのか、自分たちの目で確かめるためだった。店内も少しずつ変わっていった。
時には、思いがけない出来事が変化のきっかけになることもあった。
パンデミックによってすべてが閉鎖されたとき、二人は店にやって来て、自分たちの手で空間を改装し始めた。翌年には、さらに手を加えた。今もサラは、毎シーズン何か新しいものを取り入れている。
15年前、資金を投じて古い建物をすべて取り壊し、まったく別の店として再出発することもできたはずだ。しかし、二人はそうしなかった。選んだのは、時間をかけて少しずつ変えていく道だった。
「ここに来る人たちに、心地よく過ごしてほしい。そして何より、昔からのお客様を失いたくなかったんです」
その選択が正しかったことは、客席を見ればわかる。2004年以前から通い続ける客が、今も店を訪れる。そして、その家族もまた足を運ぶようになった。かつて祖父が宴会を予約した店に、今度は孫が結婚式や初聖体拝領、堅信式の祝いの席を予約する。
そうした世代を超えたつながりを支えているのは、長年ともに働き続けるスタッフたちでもある。レストランは1月に休業し、バレンタインデーの頃に営業を再開する。夏の繁忙期であっても、可能な限り週に2日の休みを確保している。
「仕事は本当にたくさんあります。でも、何より大切なのは、健全な職場環境です」

半径50キロメートルの料理
バルセロナ、ミラノ、ローマをはじめ、各地の星付きレストランを訪れ、食事を重ねてきたジェルマン。その経験から、彼が確信したことがある。
「ここに来たのなら、バルセロナにいるかのような料理を食べるべきではないと思うんです」
彼が設けたルールは明確だ。皿の上にのる食材は、原則として半径50キロメートル以内から調達すること。
「そうしなければ、すべてが画一的になってしまいます。それこそ、私が最も避けたいことなんです」
ラ・ロトンダのメニューにサーモンはない。レストランの前には小さな菜園があり、さらに内陸へ2キロほど進んだ場所には、二人の農家が管理する12ヘクタールの畑が広がる。その一部はラ・ロトンダのためだけに耕作されているものだ。5〜6棟の温室もあり、早採りの野菜や厨房が必要とする特定の品種を育てている。
一年間の作付け計画は、毎年1月に決める。海の幸についても、複数の調達経路を持っている。
厨房では、サン・ベネデット・デル・トロントやペスカーラの魚市場の競りを確認し、必要に応じてアンコーナにも足を運ぶ。漁船がまだ海に出ている間に直接電話をかけ、何が獲れているのかを尋ねることもある。エビやシャコ、青いロブスターなどを獲る小規模漁業者や、スズキをたった一尾だけ持ってやって来る一本釣りの漁師ともつながっているが、その根底には徹底した原則がある。
「野菜でも魚でも、食材がなければ、その料理は作りません。無理に用意することはしないんです」
もちろん、調理技術は重要だ。しかしジェルマンは、何よりも食材そのものが優先されるべきだと考えている。
「素材は、そのままの状態でおいしいと感じられるものでなければいけません。必要以上に手を加えるべきではないんです」
取材時に供されたカンパチの一皿は、その考えを見事に体現していた。シンプルな料理だからこそ、ごまかしがきかない。マンダリンでマリネしたカンパチに、シーアスパラガス(サリコルニア)とケッパーを添えた一皿。調理は極めて精緻で、味わいのバランスと塩味の調和が素晴らしい。ここに来たらぜひ味わってほしい料理だ。

ヒメジの料理も同様だ。魚そのものの質の高さが、何よりも雄弁に語りかけてくる。そこに合わせるのは、熟度の異なるプラム。一見シンプルでありながら興味深い組み合わせだ。プラムの甘味と酸味が絶妙なバランスを生み出しながらも、皿の主役はあくまで魚のままである。

親しみある料理を、新しい表現で
海辺のレストランと聞いて、多くの客が思い浮かべる料理がある。
魚のフリット、コウイカやイカの串焼き。
ラ・ロトンダは、そうした人々の記憶を否定しない。代わりに、それを新しい料理の言葉へと置き換えている。
メニューにある「Totano di bonaccia」は、その一例だ。
一本の鉄串に、4切れのトターノ(大型のイカ)を刺し、炭火で焼き上げる。仕上げにはフレッシュハーブを添える。ミントも使うが、カクテルに使うものではなく、料理向きの品種だ。さらに、チミチュリとサルサ・クリオージャを合わせる。
「日曜日に食べたあの串焼きを、違う形で再発見してもらいたいんです」
一方、昔ながらのシンプルな魚のグリルを食べたいという常連客のために、炭火はいつでも用意されている。
「どちらかを犠牲にする必要はないんです」

この考え方をよく表しているもう一皿が、「Mezzo pacchero allo scoglio」だ。魚介の出汁を長い時間をかけてじっくりと煮詰める。海の風味は薄れるどころか、凝縮され、いっそう力強くなる。そこに生の貝類を加えることで、海の味わいがさらに際立つ。

一方で、より大胆な料理もメニューに並ぶ。
例えば「Back in Black」。
パルマンティエ風のクリームを敷いた上にタコをのせ、キノコのキオディーニを合わせる。そして全体を、燻製したジャガイモのパウダーで覆う。非常に興味深い組み合わせだ。

何ひとつ無駄にしない
国連食糧農業機関(FAO)によると、世界で漁獲される魚の約3分の1が、毎年失われたり、廃棄されたりしている。魚の中には、サイズが市場の規格に合わない、あるいは消費者が期待する魚種ではないという理由だけで、売り場に並ぶことすらないものもある。
「毎日、膨大な量の魚が捨てられています。特定の商品としての条件を満たしていないというだけで、売るのが難しくなる魚もあるんです」
ジェルマンの厨房では、その価値観が逆転する。
ほかのレストランならマグロを使うような場面で、サバを選ぶ。それは、どこでも見かける定番の魚種ではなく、あまり使われない魚にも目を向けようという、意識的な選択だ。サバには、マルケ州の海岸に自生する伝統的な植物「パッカサッシ(paccasassi)」を添える。
それは、自分たちが今どこにいるのかを、常に思い起こさせるためでもある。
通常なら捨てられてしまうコウイカの肝も、料理に取り入れる。肝を取り分けて低温殺菌した後、玉ねぎ、ニンニクひとかけ、オリーブオイルとともに、ヴェネツィア風に調理する。肝は自然に固まるため、とろみをつける材料は必要ない。その後、ミキサーにかけ、裏ごしし、求めるなめらかさに仕上げていく。
「クイント・クアルト(内臓など、通常は主要な部位として扱われない部分)なら、何でも歓迎です。私たちは何も捨てません。本当に、何ひとつです」

レストランの70%はサービスが決める
「レストランの70%は、ダイニングルームで決まります」ジェルマンはそう語る。「レストランを救うのは、サービスなんです」そのダイニングルームを担うのが、妻のサラだ。彼女はデザートをはじめ、店のさまざまな部分も統括している。「私はただ、食材で遊んでいるだけですから」とジェルマンは笑う。
厨房とサービス、この二つの部門の対話は、最初の一口から感じられる。
食事の始まりには、小さなショットグラスに注がれたノンアルコールのネグローニが、アミューズとともに運ばれてくる。トマトのウエハースにはバターが添えられ、塩味がありながらも甘さを感じる。
エンパナーダは、口に入れると中のフィリングが弾けるように広がり、グリーンピースが青々とした、すっきりした風味をもたらす。より豊かな味わいのフォカッチャには、カンパチの生ハムがのせられている。
「厨房からリクエストを出して、それにサービス側が答えたんです」
このドリンクにアルコールを使わなかったのは、続いて客が飲むワインやほかの飲み物の邪魔をしないためだ。同時に、口の中をリフレッシュさせるだけの清涼感も備えている。

ワインリストは、当初ソムリエによって構成されていた。しかし、2007年に経営を引き継いでから数年後、そのソムリエと別々の道を歩むことになった。そこでサラが自らワインセラーを管理し、リストを再構築した。
中心に据えたのは、地元の生産者たち。彼らとの関係は、単なる商取引ではなく、人と人とのつながりでもある。
ここ3年ほどは、フランスにも目を向けるようになった。特にシャンパーニュとブルゴーニュに力を入れ、定期的に現地を訪れている。すでに2027年の訪問も計画されているという。最近では、ワイン選びを店に任せる客も増えている。

そして年に一度、そうした生産者との関係がビーチへと広がる。
パラソルやデッキチェアを片づけ、海岸線に厨房とダイニングルームを丸ごと設営するのだ。今年のイベントには、「Il Tiglio」のエンリコ・マッツァローニ(Enrico Mazzaroni)をはじめとするシェフたちや、シャンパーニュ・メゾンの「Champagne De Venoge」などが参加した。
「単なるテイスティングイベントではないんです」
ワインは今も店の中心にある。しかし、ジントニックのセレクションや、海辺の食材をテーマにした「Salumeria di Mare」とともに楽しむアペリティーボ、コンサートの夕べなど、楽しみ方は多彩だ。
チームとともに手がけるシグネチャーカクテルもあり、料理とカクテルのペアリングもまた、店の提案の一つになっている。

原点へと戻る
最も愛着のある料理は何か。そう尋ねると、ジェルマンは少し考えた後、コウイカを選んだ。
「私たちの物語、そしてこれまで歩んできた道を、最もよく表している料理だからです」
サラの祖父は、生涯にわたってコウイカを獲り続けた漁師だった。つまり、この料理には、皿に盛りつけられる前から、すでに家族の歴史が刻まれている。そして、この一皿にはラ・ロトンダのあらゆる考え方が集約されている。
出発点は、この海岸に伝わる伝統料理だ。そこから、コウイカを丸ごと使い切る。クイント・クアルトと呼ばれる、普段は使われない部位も例外ではない。多くの料理人が捨ててしまう小さな白い粒状の部分や、独特の食感を持つ体内の卵まで、余すことなく使う。
「とても満足感のある料理です。伝統的なものから出発しながら、普通なら誰も目を向けない部分まで使っているのですから」
60年前、一枚の注文伝票には、農家が持ってくるフダンソウと引き換えに、コウイカを用意するという約束が書かれていた。
今も、そのコウイカはここにある。最後の一片まで使い切られ、野菜は変わらず、海岸から少し内陸に入った畑から届く。建物は何度も姿を変え、メニューはそれ以上に大きく変化した。
それでも、シェフが投げかける問いへの答えは、ずっと変わらない。アドリア海を目の前に望む、あの円形のダイニングルームに座れば、自分が今どこにいるのかが、はっきりとわかる。
La Rotonda Ristorante Porto Recanati





square.jpg)



