Gioacchino Sorrentino: 余計なものは何もない

南イタリア、アマルフィ海岸。丘の中腹に建つ「フローレ・グランドホテル」のプールサイドに、リア・ラウンジバー(Ria Lounge Bar)はある。目の前には開放的なインフィニティプールが広がり、その先にはコバルトブルーの海が地平線まで続いている。
メニューを開くと、最初に目に飛び込んでくるのはこんな言葉だ。
「余計なものは何もない。すべてに意味がある(Nothing is excessive, everything has meaning. )」
ページをめくると、シグネチャーカクテルが並んでいる。一見したところ、際立って奇抜なものはない。しかし、それらを生み出した本人から話を聞くと、メニューは全く違ったものに見えてくる。
その人物とは、バーマネージャーのジョアッキーノ・ソレンティーノ。2022年に開催された国際的なカクテルコンペティションで世界チャンピオンに輝いたバーテンダーだ。


チャンピオンを形作ったもの
2022年、オランダ。イギリス、イタリア、ドイツの予選を勝ち抜いたバーテンダーたちが集う「No.3 ジン・パースート・オブ・パーフェクション(No.3 Gin Pursuit of Perfection)」の決勝戦で、ジョアッキーノは見事優勝を果たした。
「まさに夢が叶った瞬間でした。」
彼を頂点へと導いたものは何だったのか? その答えは、彼がそれまで歩んできた道のりにある。
18歳のとき、彼は南イタリアの故郷を離れ、ロンドンへと渡った。
最初の仕事は、会員制クラブ「ザ・アーツ・クラブ(The Arts Club)」でのバーバック(バーテンダーのサポート役)。氷を割り、グラスを磨き、バーテンダーが働くための準備を整えるのが彼の役割だった。
その後、老舗レストランのバーカウンターに立ち、やがて海を越えてオーストラリアへ。国を変え、スタイルを変え、彼は全く異なる環境で自らの道を切り拓いてきた。そうした経験が、現在の彼の根っこにある考え方を形作った。
「バーテンダーは、カウンターの裏側で多様なスタイルや働き方に出会うことで、初めて偉大な存在になれるのです。」
だからこそ、彼は若いバーテンダーたちにいつも同じアドバイスを送る。
「何でも経験してみること。忙しく多くのカクテルが次々と出るバー、ファインダイニングのレストラン、あるいは高級ホテル。そうすれば、全く異なる文化に対して目が開かれることになります。」
世界チャンピオンとなった今でも、彼は競技会に出場し続ける。競技会は、プレッシャーの中で感情をコントロールする方法を教えてくれるだけでなく、世界中のバーテンダーたちとつながる機会も与えてくれる。「バーカウンターに立っている限り、これからも競技会に出続けます」と彼は言う。
2022年に優勝した際、彼は自身のカクテルについてこう表現していた。
「とてもシンプルでありながら、同時に非常に複雑。まるで僕の性格そのものですね」
それから4年後の今回のインタビューでも、彼はまったく同じ言葉を口にした。

「シンプルで複雑」な一杯
彼自身をいちばんよく表しているカクテルはどれか聞くと、答えはすぐに返ってきた。
「間違いなく『ザ・フィヨルド・ストーン(The Fjord Stone)』ですね。一言で言えば、シンプルでありながら複雑。僕の性格そのものです」
このカクテルは、彼がこよなく愛するウイスキーベースの古典的な一杯、「ア・ラ・ルイジアーヌ(À la Louisiane)」から着想を得ている。
まず、バーボンにココナッツオイルを加えて「ファットウォッシング」を施します。ファットウォッシングとは、溶かした油脂をスピリッツに混ぜ合わせ、油脂が固まるまで冷やしてから取り除く手法のことです。こうすると、スピリッツにオイルの香りと豊かな質感が移り、驚くほど滑らかな口当たりのバーボンに仕上がる。
そこにスイートベルモット、彼が特にお気に入りだというリキュールのベネディクティン、ほんの少しのアブサン、ペイショーズ・ビターズ、塩水を数滴。これをステアしていく。
しかし、このカクテルの真の主役はガーニッシュ(添え物)だ。
ファットウォッシングで残ったココナッツオイルに、水、塩、小麦粉を混ぜて生地を作り、カクテルを作り始めるのと同時に、目の前の小さな小鍋でそれを揚げる。そうして出来上がるのが、薄くパリッとした食感の「ココナッツオイル・チュイル」だ。

グラスに戻ってくるもの
目の前で揚げられるココナッツ・チュイルは、ほんの一例に過ぎない。ジョアッキーノが作るカクテルでは、ついガーニッシュに目を奪われてしまうことがよくある。
「ザ・グリーン・ループ(The Green Loop)」も、その一つ。本作は、コアントローが主催するマルガリータのコンペティション「コアントロー・マルガリータ・チャレンジ2026」において、セミファイナリストに選出された。
テキーラとコアントローをベースに、キュウリとカルダモンの種から作ったコーディアルを合わせることで、マルガリータを描き直した。キュウリの青々としたフレッシュさとカルダモンのスパイス感が調和し、そこにセーライン・ソリューション(塩水)を加えることで、ドリンク全体にみずみずしさと奥行きが生まれる。
グラスに添えられるのは、コーディアルを作ったあとのキュウリの皮とカルダモンシードにミントを合わせて仕立てた、食べられるアロマティック・スポンジだ。
ココナッツオイルのチュイルも、このスポンジも、カクテルを作る過程で生じた副産物から生まれたものだ。なぜ、そこまでするのか。
「ただカクテルを作って、何の理由もなく材料を捨ててしまう……自分には、そんなことは考えられません」
これこそが、ジョアッキーノがカクテルを作る際の軸になっている。彼は7年以上前からゼロ・ウェイスト(廃棄ゼロ)に取り組んできた。
一つの素材をさまざまな技法で繰り返し活用し、環境にも働く店にも不必要な負荷をかけないようなやり方を選んできたのだ。今や、この考え方なしにカクテルを作ることはない。
「新しいレシピを考えるときは、その素材のライフサイクル全体を計画することから始めます」と彼は言う。
ザ・グリーン・ループという名前のとおり、素材から始まり再びグラスの中へと戻ってくる輪ができている。彼にとってサステナビリティとは、ちょっとした工夫ではなく、カクテルそのものなのだ。

旅するゲストから愛されるカクテル
「クリフサイド・ネクター(Cliffside Nectar)」は、ゲストから最も注文の多いシグネチャーカクテルだ。
ベースには、シソの葉を漬け込んだタンカレー・ジンを使用。バジルを彷彿とさせる爽やかな香りを添えている。
ここに、南イタリア・カラブリア産のベルガモット・リキュール「イタリクス(Italicus)」が柑橘のフレッシュさを加え、さらにピンクピーチのコーディアルが組み合わされる。
桃の香りはとても繊細で、熱を加えるとすぐに飛んでしまう。
だから彼は、一切の加熱を行わない。
その代わりにコールド・オズモーシス(浸透圧を利用した抽出法)という方法で、時間をかけて桃の果汁と香りを引き出す。仕上げにクエン酸を加えて、酸味を整える。
最後に塩水を数滴。塩には、すべての材料の味を自然に引き立てる役目がある。
ガーニッシュには、ジンに漬け込んだ後のシソの葉と、コーディアルを作る際に残った桃の果肉を活用。これを乾燥させてパリッと焼き上げ、桃とシソのチュイルにしてグラスに添える。
ピンクの桃に南イタリアのベルガモット、そして日本のシソ。この土地の素材を核としつつ、世界各地の食材を組み合わせるのが、彼のスタイルだ。
「メニューの根っこにあるのは、この土地の素材です。そこにあえて、海外の素材や世界のスピリッツを組み合わせています。そうすることで、地元の味が、世界を旅してきたようなモダンなカクテルに生まれ変わるんです」
その名前にも、ちょっとした秘密が隠されてる。クリフサイド・ネクター(崖の上の蜜)という名は、海へと落ち込む崖の中腹に建つ、このホテルのロケーションに由来しているのだ。地元の素材と世界各地の素材を合わせ、その土地の風景を映し出す名前を冠する、なんとも心憎い演出だ。
そう思ってメニューを改めて眺めてみると、ほかにも発見がある。彼自身を表す一杯だという「フィヨルド・ストーン」は、切り立った岩壁の間に海が入り込んだ、フローレ村の入り江にちなんでいる。
ノンアルコールカクテルの「フューリー・オブ・ザ・サン(Fury of the Sun)」もその一つ。フローレ(Furore)というイタリア語が「激しい怒り」や「猛威」を意味することを知ると、思わずにやりとしてしまう。
ジョアッキーノは言う。
「グラスの選び方からガーニッシュ、そしてカクテルの名前に至るまで、すべてがつながっているんです」
まるで、ちょっとした謎解きのようだ。名前に隠された意味に気づくと、それが楽しくなり他のカクテルにはどんな意味が込められているのかを知りたくなった。

材料は3つか4つまで
クリフサイド・ネクターやザ・フィヨルド・ストーンもメニューに並ぶ材料の数は少ない。これは偶然ではなく、彼のはっきりした信念から来ている。
「シンプルなものは、ありきたりだと思われてしまうかもしれません。しかし私は、シンプルさこそが、何かを創り出す上で最も魅力的なあり方だと信じています。私のモットーは常に『Less is more(少ないほど豊かである)』なんです」
あまりに多くの材料を詰め込んでしまうと、一口飲んだだけでそのすべてを理解することはほぼ不可能になってしまう。だからこそ、ガーニッシュも含めて3〜4つまでにしている。一つ一つの素材の力を、きちんと感じてもらいたいからだ。そのかわり、少ない材料を完璧に組み合わせるために、複雑な技術を惜しみなく使う。
では、新しいカクテルのアイデアはどこから生まれるのだろう。
すべては、たった一つの素材から始まる。
フルーツでも、ハーブでも、スパイスでもいい。その素材を選んだ瞬間に、シェイクするのか、ステアするのか、グラスに直接注いで作るのか、それとも高い位置から注いで空気を含ませるスローイングにするのか、どう作るかはもう決まっている。
あとはその素材に合うベースのスピリッツを選び、最後に同じ素材を使ったガーニッシュを考える。クラシックカクテルを出発点に、この考え方でツイストすることもある。
驚くのは、そのほとんどを頭の中で組み立ててしまうことだ。
「頭の中で組み合わせて、納得できたら実際に作ってみる。だいたい9割はそのまま上手くいきます」
バーにあるお酒や素材を深く理解して、味覚をきちんと鍛えていれば、すばらしいカクテルはすぐに作れる。それが彼の信念だ。


すべての土台はクラシック
ジョアッキーノのメニューには、もうひとつの側面がある。クラシックカクテル、特にマティーニの存在だ。
「優れたバーテンダーであるためには、何よりもまずクラシックを知らなければなりません。クラシックカクテルを深く理解していなければ、真に優れたバーテンダーにはなれないのです」
最新の技法や珍しいスピリッツにどれだけ詳しくても、土台はクラシックにある。ホスピタリティ業界で10年以上の経験を積んだ今もなお、彼はクラシックを学び続けているという。
クラシックを完全に熟知していれば、自信を持ってバーカウンターに立ち、ゲストと向き合うことができる。要望に合わせて、その場でベースとなるスピリッツを入れ替えるようなアレンジも可能だ。
新しいシグネチャー・カクテルを作るときも、クラシックの構成を出発点にすることが多い。彼にとって、クラシックとは設計図のようなものなのだ。
マティーニのリストを開くと、まず「どんなマティーニになさいますか?」と問いかけられる。
ドライ、エクストラ・ドライ、それともウェットか?オリーブのブライン(漬け汁)を加えたダーティか、さらに塩気の強いフィルシーか、リストには他にもヴェスパー、タキシード、50-50、パーフェクトと続く。どれも細部まで作り込まれている。




もうひとつ彼が大切にしているのがアペリティーヴォだ。
ランチやディナーの前、あるいは午後のひととき。イタリア人がこの時間をどのように楽しんでいるのかを、海外から来たゲストにも知ってほしいという思いがあるのだ。
メニューには、アペリティーヴォのために作られたカクテルがいくつも用意されている。食事の前に飲んだら、そのあとの料理がもっとおいしく感じられるだろう。
迎えてから見送るまで
海外から来たゲストの中には、ワインではなくカクテルと一緒に食事を楽しみたい人もいる。
だから彼は、シェフの料理とカクテルをはっきり結びつけている。
料理の酸味に合わせたり、料理に使われているハーブの香りをカクテルにも反映させたりと、料理をより一層引き立てるように設計されているのだ。
レストランでは、料理が運ばれてくるたびにスタッフがその内容を説明をしてくれるが、Riaではカクテルに対しても同じことが行われている。グラスを出すときに、その中身について説明するのだ。
すべてのスタッフが、そうした対応ができるようトレーニングを受けている。だからゲストは、自分が何を飲もうとしているのかわかる。中身を知っているかどうかで、同じカクテルでも味わい方が変わってくるはずだ。
ジョアッキーノは、これを「短いマスタークラス」と呼んでいる。
「ゲストが店を後にする際、何か新しいことを学んでいてほしいんです」
そして、彼が何よりも大切にしているのはホスピタリティだ。
「おいしいカクテルを作れる人は大勢いますが、ゲストに心から『歓迎されている』と感じさせられる人は、そう多くはありません。」
最初の笑顔やあいさつから、丁寧に見送る瞬間まで、一つひとつのやり取りのすべてが重要な意味を持つ。それこそが、Riaとフローレ・グランドホテル全体が大切にしていることだ。
Riaは、ホテル内のバーという枠を超え、カクテル愛好家が目指して訪れるような目的地になり得ますか?という問いに、彼は、「100%、イエスです」と答えた。
海岸を見渡すこの景色、ため息が出るほどのロケーションに、毎週ライブミュージックも楽しめる。
しかし、最も重要なのは「サービス」と「知識」だと彼は言う。
実際、アペリティーヴォや食後酒を飲むために、わざわざ足を運ぶ地元のゲストも多いそうだ。


Riaのこれから
「探求すべき新しいことは、常に存在します」
彼は毎日勉強を続けていて、学んだことをすぐにカクテルやゲストの体験に生かしている。
そして今、Riaのために、いくつかの大きなプロジェクトを進めているという。
中身はまだ明かせないが、最後にこう話してくれた。
「ここを、世界最高のホテルバーのひとつにするために、できることはすべてやるつもりです」
彼の挑戦はカウンターの内側でこれからも続いていく。

Ria Lounge Bar / Furore Grand Hotel



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