Club Derrière : MATERIA

クラブ デリエの新しいカクテルメニュー が発表された。
正直に言うと、発表前から少し複雑な気持ちだった。というのも、前回の彼らのメニューがあまりにも良かったからだ。数々の仕掛けやストーリーが隠され、アート性と遊び心が共存する内容で、カクテル初心者でも楽しめる一方、業界の人間が見ても発見がある完成度の高いメニューだった。
「あれを超えるものなんて、本当に作れるのだろうか?」
そんな期待と少しの不安を抱えながら今回の発表を迎えた。しかし、最初に渡された新メニューを見た瞬間さらに戸惑うことになる。前回とはまるで違っていたのだ。華やかさや演出は抑えられ、全体は驚くほどシンプル、どこか無機質ですらある。
メニューを開くと、そこに並んでいたのはカクテル名ではなく、
CEMENTO(セメント)、RUGGINE(錆)、MATTONE(レンガ)、VETRO(ガラス)といった、
建築資材のサンプル帳のような言葉たちだった。見本のような削ぎ落とされたデザインで、まるでマテリアルアーカイブのようだ。
この瞬間はまだ良さがわからなかった。だが、この第一印象は、このあと見事に覆されることになる。むしろこの違和感こそが、新しいカクテルメニュー 「MATERIA」 の入口だったのだ。

ヴィクター・パパネックから学ぶ人間中心設計のドリンクリスト
テーマは、MATERIA(物質・素材)。といっても工業素材やインダストリアルデザインの話がしたいわけではない。クラブデリエのチームが着目したのが、社会的デザインの思想家 ヴィクター・パパネックの考え方である。
パパネックは1971年の著書 Design for the Real World の中で、デザイン業界に対して大きな問いを投げかけた人物だ。当時のデザインは、美しいものや売れるものを作る方向へ進んでいた。
しかし彼はそれに異を唱える。
「デザインは見た目を整えるためだけのものではない。人々の問題を解決し、人のために機能するべきだ」
それが彼の考えだった。
今でいうUXデザインや人間中心設計にも繋がる発想であり、MATERIAの背景に流れている思想も、まさにそこにあった。
チームは過去数年を振り返り、ある課題に気づいたという。
近年のカクテルシーンでは、発酵、特殊抽出、珍しい素材など、バーテンダー側の技術表現がどんどん高度化している。一方で顧客との距離が少し離れてしまっていた。
そこで目指したのは 「クラブの世界観」と「ゲスト」をつなぐ接点だった。
その答えとして選ばれたのが、美しさではなく人のために機能することを重視するパパネック的な発想だったのだ。
どうすればゲストが自然に入り込めるかを試行錯誤した結果、飲み手がどのレベルからでも楽しめるよう、3層構造のストーリーテリングになった。これは知識量によって見え方が変わる仕組みになっている。

メニューは3つの深度で読む
第1層:直感的な入口
最初に飲み手を迎えるのは、哲学でも専門用語でもない「直感」だ。
目に入るのは、映画や文化的引用を思わせる Orange is the New Black、Escape from R(e)ality、Glassy Sky といった印象的なタイトルたち。一見すると素材や建築をテーマにしていたことさえ忘れてしまう。あえて難しさを見せないようにしているのだ。
まずは、「なんだろう?」「名前が気になる」「ちょっと飲んでみたい」その感覚だけで十分。作り手が伝えたいことを押し付けるのではなく相手が入りやすい入口を作る。
まさに、パパネックが語った「人のために機能するデザイン」の考え方だ。最初の体験は、カクテルを選ぶことではなく興味を持つことだ。面白いのはここからで、一歩ずつ進むたびに、素材、哲学、技術へと世界が少しずつ開いていく。

第2層:素材に込められた哲学
MATERIAをさらに読み進めていくと、次に見えてくるのは素材そのものの意味だった。
セメントやレンガといった言葉は、味わいを直接表すものではない。感情や哲学を表現している。
例えば、レンガと聞いてさっと思い浮かぶのは建物や壁、もしくは無骨な質感といったところだろう。
しかし、このメニューでレンガが持つ意味は「安定」だ。ひとつひとつは小さくても、同じ形のものが積み重なり、互いに支え合うことで大きな構造になる。そこには調和があり、秩序があり、関係性がある。
チームはこれを、実際のカクテル表現へ落とし込んでいた。
同じ素材を異なるアプローチで仕込み、ひとつの味へ組み上げる。似たもの同士が重なり合い、全体として調和を作る。その構造自体が、まるでレンガそのものなのだ。
第3層:技術・感覚・色彩心理
さらに奥へ進むと、今度は技術の世界へ入っていく。
ここまでは、直感や哲学を通して少しずつ世界観を開いてきた。最後の層では、インフュージョン、オスモシス抽出、特殊ビター、香味設計といった技術が現れる。どんな抽出をしたのか、どれだけ特殊な素材を使ったのか、どんな実験を行ったのかが、ここで初めて見えてくる。技術は最後まで裏側に置かれて、飲み手が興味を持ち自分から奥へ進んだときだけ現れるのだ。
色にも注目してほしい。
例えば、 MATTONE(レンガ) の赤と黒が重なった深いブルゴーニュカラーは、色彩心理の研究から言うと、赤の甘味と黒の苦味が合わさったものをイメージさせる。
私たちは、口に運ぶ前から無意識のうちに味を受け取っていたのだ。この時点ですでに体験は始まっている。
ここでようやく、最初に見たあのミニマルデザインの意味に繋がる。
これは、感情を導き、哲学を隠し、最後に技術へ辿り着かせるための設計だったのだ。MATERIAは、体験を少しずつ開示していくデザインブックだったのだ。

MATTONE(レンガ)- Monolith
「安定」を液体化したネグローニの再構築
レンガには、彼らの思想が最も分かりやすく表れている。
前に触れたように、レンガが意味するのは安定と調和だ。一つだけでは構造にならない。同じ形のものが重なり、支え合い、積み上がることで初めて大きな存在になる。これがそのまま味の設計へ落とし込まれている。
ベースにはスモークパプリカをインフュージョンし、赤ピーマンは別アプローチでオスモシス抽出、そこへフセッティ・ビター、クルスコペッパーを使ったマンチーノヴェルモット、そして少量のザクロ酢が加わる。同じ方向性を持つ素材を異なる技法で重ね、ひとつの味へ組み上げる。まるでレンガを積み上げるように。
そして視覚表現も抜かりない。アイスの上部にはココアバタースプレーによる質感表現が施され、表面にはどこかマテリアルサンプルのようなテクスチャーが生まれている。インダストリアルでありながら、素材感を残す。
味わいについて、チームはこう語った。
「ネグローニは苦味が強く苦手な人も多い。だからもう少し柔らかく飲みやすく寄せた」
これは単なるネグローニツイストではなく、その構造を残しながらも、人間中心設計で入口を広げた仕様だ。対立する要素が重なり、丸みを持って調和する。これはまさに、このカクテルが表現しようとしていた 「安定」 そのものだった。味も、色も、哲学も、全部が同じ方向を向いているのだ。
CEMENTO – Escape from R(e)ality
最も現実的な素材が、現実逃避を描く一杯
重い、硬い、無機質。建築現場や都市を思わせる、最も現実的な素材セメントにつけられたタイトルは“Escape from R(e)ality=現実からの逃避”。
なぜ、セメントが現実逃避なのだろう。
ベースは Jack Daniel’s Bonded Rye、ライウイスキーの持つスパイス感にキャラメルの甘さ、醤油の旨味。甘味と塩味、香ばしさとコクが重なり、安心感のある輪郭を作っている。
派手な技術を前面に出していないぶん、素材同士の関係性がよく見える。
普通なら意外性のために使われそうな醤油の存在だが、この一杯では味を驚かせるためではなく、奥行きを与えるために置かれている。その結果、このカクテルにはどこか落ち着いた温度が生まれている。
セメントは建物を支える素材だ。街を作り、空間を固定し、人を現実へ繋ぎ止める。でもその一方で、人は時々少しだけ現実を忘れて、別の場所へ行きたくなる。無機質な世界の中にある小さな逃避。硬い素材の奥にある温度感。
この一杯が描いているのは、その感覚なのかもしれない。だから CEMENTO はセメントの味ではなく、現実と、その外側にある感情を表現しているのだろう。
LEGNO – Infl(u)orescence
木が物質から感覚へ変わる一杯
LEGNO(木) が扱っているのは、木という物質そのものではなく、もっと曖昧で感覚的なものだ。
ベースは Casamigos Blanco、そこへパロサント、EVOオイル、メープル香、ジャスミン。一見すると不思議な組み合わせにも感じる。
木と花。柔らかさと硬さ。自然と工業。相反するものが同じグラスの中に共存している。
特に印象的なのが、パロサントの存在だ。スペイン語で「聖なる木」を意味し、南米では古くから浄化や儀式にも使われてきた香木だ。火を灯すと甘く神秘的な香りを放つことで知られている。
瞑想的で深く神秘的な雰囲気に、ジャスミンが入ることで柔らかさが生まれ、木質香は静かな余韻へ変わっていく。EVOオイルが厚みを加え、メープル香がわずかな甘みを残す。
これは「森」を表現しているわけでも、「木材」を再現しているわけでもなく、もっと抽象的だ。それは、木に触れたときの感覚、木漏れ日、静けさ、神聖な空気だ。
感情や記憶を呼び起こす媒体として木が持つ精神性そのものを液体へ変換したような一杯だ。

RUGGINE– Oxidian
時間は劣化ではなく価値になる
レンガや木についてはわかった。でも錆はどうだろう。劣化、腐食、古さ。決してポジティブなイメージではない。なぜ彼らは錆を選んだのだろうか。
その答えは、構成を見ると少しずつ見えてくる。
ベースは Ketel One。そこへトマト、コーヒー、梅、そしてガムドレッシング。並べて見るだけでも独特だ。
トマトの持つ旨味と酸、コーヒーの焙煎香、梅が持つ発酵由来のニュアンス。さらにドレッシング的な要素が加わることで、味は単純な方向へ進まない。酸味、旨味、発酵、焙煎のそれぞれ異なる時間軸を持つ素材が、同じグラスの中で交差する。
ここでふと、錆そのものについて考える。錆は一瞬で生まれるものではない。空気に触れ、湿度に晒され、時間を重ねることで少しずつ姿を変えていく。つまり錆とは、時間が物質に刻んだ痕跡なのだ。
劣化ではなく、変化したものの価値、時間が残した美しさ。それをトマト、コーヒー、梅という、どうにも交わらなさそうな素材から表現している。これは錆の味ではなく、時間の味なのだ。

VETRO – Glassy Sky
ガラスが空気になる
ガラス。名前だけを見ると、最初は冷たさや硬質感を想像するかもしれない。
透明で、無機質で、どこか都会的なイメージ。しかしこの一杯が向かっていたのは、ガラスそのものではなく、その先にある透明感だ。空を思わせるその名前の通り、このカクテルはガラスの物質感ではなく、光が抜ける感覚や軽さへと視点を移している。
ベースは Tanqueray No. Ten。そこへティムットペッパー、ココナッツ、金木犀、白茶。ティムットペッパーはネパール原産で、グレープフルーツを思わせる柑橘香を持つ。その軽やかな香りが最初に立ち上がり、そこへ金木犀の柔らかな花香が重なる。白茶が輪郭を整え、ココナッツが厚みを与える。それぞれの香りは主張しすぎず、むしろ透けている。まるで空を見上げたときのように境界線が曖昧で、どこまでも抜けていく。光が差し込み風が抜けていく透明感そのものを飲むようだ。
CARBONE – Orange is the New Black
黒を描きながら、オレンジを際立たせる一杯
炭をテーマにしているのに、なぜオレンジが前面に出てくるのだろう。
構成を見ると、逆説そのものがテーマになっていることが分かってくる。
ベースは Zacapa。そこへ ペロ・デ・サン・フアン、ターメリック、リコリス、そしてラプサンスーチョン 。松の薪で燻製された中国紅茶のラプサンスーチョンは、独特のスモーキーさを持ち、炭や煙を思わせる香りを持っている。その深く燻されたニュアンスに、リコリスの甘苦さが加わる。
煙や焙煎、土っぽさ、本来なら重くなりそうな層がいくつも重なるが、どこか鮮やかさが残っている。影があるから光が見えるように、黒を強調することでオレンジが浮かび上がる。
これは炭そのものを表現しているわけではなく、暗さがあるから色が際立つような黒の中にある色を描いているのだ。

PLASTICA – Babbol
人工物を遊び心へ変える一杯
ここまでのMATERIAは、どこか静かで内省的だった。
レンガは調和、木は精神性、錆は時間、炭は陰影。どれも素材を深く掘り下げ、人間の感覚や哲学へ変換していた。そんな流れの中で現れるプラスチックは少し異質だ。
タイトルのBabbolには、少しいたずらっぽい響きがある。
Ketel One をベースに、イチゴ、赤バジル、クリーム。これまでのカクテルと比べても、明らかに柔らかく親しみやすい。
プラスチックという言葉には、人工的で無機質な印象がある。便利だけれど冷たい、大量生産、均一といったイメージを持つ人も多いだろう。しかし、その印象を軽やかに裏切ってくる。
イチゴの甘さ、クリームの柔らかさ、そこへ赤バジルが加わることで、どこか懐かしいけど現代的な大人っぽい余韻が生まれる。
プラスチックは人工物だが、同時に子供のおもちゃだったり、カラフルな日用品といった私たちの日常を形作ってきた素材でもある。
“Not So Classic”という実験
クラシックを壊すのではなく、未来から作り直す
メニューには、クラシックカクテルのセクションもある。しかし普通なら “Classic Cocktail” と書かれるはずだが、そこに記されていたのは、“(NOT SO) CLASSIC”という遊び心のあるタイトルだった。
よくあるクラシックを現代風に変えたツイストカクテルとはちょっと違う。
彼らが考えていたのは、「もしクラシックカクテルが2026年に発明されていたら?」という仮説だ。
例えば Pornstar Martini や Bloody Mary。
パッションフルーツやトマトといったそのカクテルらしさは消さない。ただし、それを支える技術だけを現代へ持ってくる。
抽出、温度管理、香味設計といったバーテンディング技術を使って、「もし今生まれたらどうなるか」という視点で再構築しているのだ。だからこれは再現や復刻ではない。もっと未来志向の実験だ。
クラシックを過去として扱わないで、「もし今この時代に生まれていたら?」「もっと新しい技術が使えたら?」それでも同じ味になっただろうかという実験だ。
過去を否定せず、素材も、哲学も、クラシックも全部を残したまま、新しい視点を与える。
これはパパネックの考え方にも似ている。形を変えることが目的ではない。人との関係を今の時代に合わせて設計し直すこと。
“(NOT SO) CLASSIC” は、MATERIAの思想を最後まで映しているようだ。

Club Derrière



square.jpg)



