Osteria al Forno di Agnese: A Story of Civita

「宮崎駿監督の『ハウルの動く城』をご覧になったことはありますか?」
チヴィタ・ディ・バニョレージョへと続く全長300メートルの吊り橋を渡り終えたとき、最初に耳にしたのは地元ガイドのそんな一言でした。続いて彼は笑顔でこう声をかけてくれました。
「よかったらご一緒にどうぞ。無料ですよ。」
私たちはすでに予定があったため丁重にお断りしましたが、その何気ないやり取りから、この町の本質が伝わってきました。
年間数十万人もの観光客が訪れる場所でありながら、チヴィタには今もなお、飾らない温かいもてなしの心が息づいているのです。



数分後、私たちはオステリア・アル・フォルノ・ディ・アニェーゼに到着しました。迎えてくれたラッファエーレさんとマヌエラさんは、まず二冊の本を手渡してくれました。
一冊は第一次世界大戦以前にまでさかのぼる歴史写真集。もう一冊には比較的新しい時代の町の風景が収められています。二冊を並べて眺めることで、チヴィタ・ディ・バニョレージョという町が歩んできた歴史が浮かび上がってきます。
ページをめくるだけで、この小さな町が人の人生にどれほど深く刻まれる場所なのかが伝わってきます。


ラッファエーレさんは、この古い集落の中で生まれ育ちました。写真を見ながら、彼はかつてのチヴィタを思い出します。人口は徐々に減少していたものの、今よりもずっと活気に満ちていた頃の町です。
幼い頃には、長期間この町に滞在していたアメリカ人の子どもたちと一緒に遊んでいたそうです。アメリカの大学との交流もあり、チヴィタは何十年も前から海外の人々にも知られた存在でした。
「当時の観光は、今とはまったく違っていました。」
そう彼は語ります。
家族連れは数日、ときには数週間も滞在し、町を”見る”のではなく、町とともに時間を過ごしていました。当時は、時間の流れそのものが今よりゆっくりだったのです。
オステリア・アル・フォルノ・ディ・アニェーゼの歴史は、チヴィタそのものの歴史と深く結びついています。

ラッファエーレさんの祖母アニェーゼさんは、かつて村人たちが共同で利用していたパン窯をオステリアへと生まれ変わらせました。
共同パン窯とは、住民が自宅でこねたパン生地を持ち寄り、一つの薪窯で焼き上げる場所のことです。それは生活に欠かせない設備であると同時に、人々が自然と集うコミュニティの中心でもありました。
アニェーゼさんはオステリアを開いた際、その共同体の精神をそのまま受け継ぎました。
素朴な料理が並び、近所の人々が集まり、訪れた人もレストランというより誰かの家に招かれたような気持ちになれる場所。
以来、この店は代々家族によって受け継がれています。三世代にわたり同じ道を歩んできましたが、その道筋は決して一直線ではありませんでした。

ラッファエーレさんもマヌエラさんも、当初は別の職業を選びます。ラッファエーレさんは農業測量士として働き、マヌエラさんは法律を学びました。
しかし、二人の家族には共通して「もてなし」の歴史があり、やがて自然とこの世界へ戻ってくることになります。
2009年、二人は家族のレストランを引き継ぐ決断をしました。
その年に植えた一本の藤は、今ではテラス全体を覆い尽くし、村でもひときわ美しい食事空間をつくり出しています。
マヌエラさんがホールを担当し、現在はラッファエーレさんの息子が厨房を率いています。こうして四代目が家業に加わりました。
一方でラッファエーレさんは、農業の知識を生かしながら食材選びを担い、地元の生産者との密接な関係を築き続けています。

チヴィタは「死にゆく町」として世界的に知られています。
この名称は、町が築かれた火山性台地が絶えず浸食され続けていることに由来します。
古い写真を見れば、その変化は一目瞭然です。長い年月の中で、風景そのものが大きく姿を変えてきました。
しかしラッファエーレさんと午後のひとときを過ごしたあと、この町を表す言葉として別の表現のほうがふさわしいように思えてきます。
チヴィタは「死につつある町」ではありません。「変わり続ける町」なのです。
現在、城壁の内側に暮らす常住人口はわずか15人ほど。その一方で、観光客の数は増え続けています。
ラッファエーレさんによれば、本格的な観光ブームが始まったのは2011年頃。その背景には、宮崎駿監督作品によって世界中に広まった幻想的な世界観があり、多くの人がチヴィタをその舞台の一つとして重ね合わせるようになったことも大きいといいます。
観光のあり方そのものも変化しました。
現在ではローマからの日帰りツアーや団体旅行、クルーズ船の寄港ツアーで訪れる人が大半を占めます。
訪れる人数はかつてないほど増えましたが、その滞在時間は以前よりずっと短くなっています。

町が変われば、レストランも変わるべきなのでしょうか。ラッファエーレさんは迷うことなく答えます。
「もちろん変わるべきです。しかし、それは必要な範囲だけであり、自分たちのアイデンティティを失ってはいけません。」
サービスは今も昔ながらのオステリアそのもの。お客様は単なる客ではなく、昼食を食べに立ち寄った友人のように迎えられます。
料理も同じ哲学に基づいています。レシピは土地の伝統に忠実で、余計な技巧は加えません。
その代わり、上質なオリーブオイル、香り豊かなハーブ、そして厳選された地元食材が料理の主役となります。
ランチは、おそらくイタリアでもっとも伝統的なスタイルで始まります。焼きたてのパンとオリーブオイル。オイルが本当に良いものであれば、それだけで十分なのです。

最初に運ばれてきたのは、温かい豆のサラダ。玉ねぎ、ハーブ、レモン、そしてアンチョビのヴィネグレットで和えられた一皿です。シンプルで爽やか、それでいて満足感があります。
豆はほどよい食感を残し、アンチョビが控えめな旨味を添え、全体の調和を崩すことはありません。

続いて登場したのはバッフォ・ディ・マイアーレ・アル・ポモドーロ。
薄切りにした塩漬け豚肉を、セージの香りをまとわせたトマトソースでじっくり煮込んだ料理です。
濃厚でありながら重たさはなく、一口食べるだけで昔ながらのイタリアのオステリアを思い起こさせます。トマトソースの皿に、パンで「スカルペッタ」をし、赤ワインを一杯添える。
その瞬間、ランチは単なる食事ではなく、一つの体験へと変わります。

続いて、自家製タリアテッレのキアニーナ牛ラグー。
パスタは地元の製麺職人が店の仕様に合わせて製造し、肉は近郊チェッレーノの精肉店から仕入れています。メニューの多くと同じように、できる限り地元の食材を使うという店の姿勢が、この一皿にも表れています。

メインは、チヴィタ伝統のポッロ・アッラ・チヴィトニカ。
鶏肉をトマト、オリーブ、香草とともにゆっくり煮込んだ郷土料理です。柔らかく仕上がった鶏肉と風味豊かなソース。派手さはありませんが、この地域トゥッシャの誠実な家庭料理を象徴するような一皿でした。
メニューにはこのほかにも、ファッロのスープ、アマトリチャーナ、カチョ・エ・ペペを詰めたパンチョッティ、イノシシのラグー、旬のトリュフなど、中部イタリアを代表する郷土料理が並びます。
さらに、その日の市場や地元生産者から届く食材に合わせた日替わり料理も提供されています。

オリーブオイルは、この店にとって特別な存在です。家族は二種類の自家製オイルを生産しています。一つは、この地域に古くから伝わる在来品種「ラージョ」から搾ったもの。もう一つは、生産の安定性を高めるため複数品種をブレンドしたオイルです。
これらは料理全体に使用されるだけでなく、購入することもできます。
また、この地域を代表する特産品であるオリーブオイルについて学びたい人のために、テイスティングも定期的に開催されています。

午後が終わりに近づく頃、一つのことがはっきりと分かります。
オステリア・アル・フォルノ・ディ・アニェーゼは、まるでチヴィタそのものを映し出ているような場所です。町は変わり続け、観光の姿も変わります。新しい世代が新たな役割を担っていきます。
それでも変わらないものがあります。家族が囲む食卓。薪窯が受け継いできた歴史。一本のオリーブオイル。一杯のワイン。
そして、見知らぬ人をまるで我が家に迎えるようにもてなすことこそ、本当のホスピタリティであるという信念です。
もしチヴィタ・ディ・バニョレージョを訪れる予定があるなら、昼食の時間をしっかり確保してください。あの橋はあなたを村へと導いてくれます。そして、この町を本当に理解させてくれるのは、このオステリア・アル・フォルノ・ディ・アニェーゼのような場所なのです。

Osteria al Forno di Agnese




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